群雄割拠の東海地方西三河一帯は、東に今川家が強大な勢力を誇り、西からは新興の織田家が次第に東方に進出するなど、東西勢力の接触点となった。天文十一年、竹千代(後年の徳川家康)は岡崎城主の松平広忠と政略結婚で結ばれた於大との間に生まれた。当時の..